「鳩山論文」への米国内の反響・コメント
久しぶりの更新です。皆さん、よい夏をお過ごしでしたでしょうか。
少し古いニュースになってしまったが、鳩山代表が米ニューヨーク・タイムズ紙(8月27日電子版)に寄稿した論文("A New Path for Japan")に対して、一部のメディアや米国内の専門家から批判と困惑の声が挙がっている。批判の一番の的は、同論文の随所に反米的とも取れる表現が随所に見られること。
冒頭、「米国主導の市場原理主義(グローバリゼーション)によって、人々は目的ではなく手段として扱われ、結果として人間としての尊厳が失われている」と切り出し、「我々の市民の金融や生活を守るために、モラルや節度に欠けた無制限な市場原理主義や金融資本主義をいかに終わらせるかが、現在、我々が直面している課題である」と述べている。続いて、「今日の金融危機は、アメリカ式の自由市場経済学が普遍的、理想的経済秩序であるという考え方、また、全ての国々は、グローバル(または、アメリカの)スタンダートに沿ってそれぞれの国の伝統や経済規制を修正しなければならないという考え方、に起因する・・・」と指摘。加えて、「イラク戦争の失敗や金融危機が、アメリカの単独主義の時代、アメリカ主導のグローバリズムの時代に終わりを告げ、多極化時代に移行しつつある」と述べている。
このように、米国を名指しで経済のグローバル化、イラクの失敗、金融危機等への影響を批判するような形になっており、アメリカ人読者が気分を害して仕方のない文面です。細かいことを言えば、市場原理主義(market fundamentalism)の“fundamentalism”という単語は、アメリカ人にとって9.11以降、イスラム原理主義(Islamic fundamentalism)を批判する文脈で慣れ親しんできたイメージの悪い単語であり、その言葉を使ってアメリカが批判されていること、さらに、「モラルや節度を欠く」といった表現も加わり、アメリカ人への中傷として捉えてしまう読者もいたかもしれない。
歴史的な政権交代が起ころうかという国の躍進する政党党首が、選挙の数日前に、米国主要紙に寄稿した論文である。米国内政策担当者・専門家らは、当然、鳩山代表の一字一句から政治的思想、政策的志向、新政権のビジョンを読み取ろうと注目しただろう。しかし、同論文は、特に鳩山代表や日本の民主党を良く知らない多くの米国読者にとって、困惑や異論を残すだけに終わったのではないだろうか。
例えば、「無制限な市場原理主義」を批判し、これらから地域コミュニティを守ると述べるものの、それでは、国内の規制強化に乗り出すのか、G20を中心に進むグローバルな規制枠組み作りにおける日本の役割へのインプリケーションとしてどうなのか、全く方向性が示されていない。
さらに、新たな地域通貨圏、安全保障の枠組みとしての東アジア共同体作りの必要性を唱える中でも、米一極時代から多極時代へという認識そのものは間違いでないとしても、東アジア共同体作りで日本がどのようなリーダーシップを発揮するかに関してなんら言及がない。中国を中心とするアジアが台頭する時代に、アジア重視は理解できるが、日本の相対的な経済力、地政学的力は、格段に落ちている現状をどのように鳩山代表が認識し、地域内リーダーシップを発揮する上でどのように考えるのか。欧州統合の例を引き合いに出しているが、ドイツとフランスが互いに対等な有力国として統合の動きをリードしたように、中国と日本がこの流れを対等に、友好的にリードできることが前提とされているようだが、中国にそのインセンティブがあるのか。勢いのある中国にしてみれば、もう少し発展を継続すれば、中国の意の下に地域通貨や地域安全保障枠組み作りを進められるのではないか、といった指摘がされている。
とは言え、こうした批判や困惑が、日米関係を悪化させるところまでインパクトを持つとは、米国内の専門家らは考えてはいないだろう。鳩山論文の掲載以来、一部の米メディアが論文の内容をめぐって個人の論説等を掲載しているものの、米国内で大きな反響となっているわけではない。日系メディアは、政府高官や有力シンクタンク研究員らから、同論文に関するコメントを取り付けるのに躍起になっているようだ。しかし、同論文を突きつけられてコメントを求められれば、上述したような文面の問題から、否定的な、懸念を表明するようなコメントをせざるを得ないだろう。
そもそも同論文は、日本の月刊誌「Voice」9月号に掲載された鳩山論文を基に、鳩山事務所が英訳を行ったものであるという。このタイミングで海外の主要紙に党首の名前で論文を掲載するなど、非常にアメリカ的な選挙キャンペーン戦略との印象を受ける。民主党の選挙キャンペーン・コンサルタントの進言にでも従ったのだろうか。だとすれば、とんだ戦略ミスである。なぜなら、同論文はそもそも日本国内読者を対象に書かれたものであり、選挙民へのアピールを意識した要素が入っている。小泉政権が主導した市場原理に基づいた改革の方向性と民主党の政策方針の違いを際立たせようとする表現が、多少のリップサービスも伴って反米的な表現になったものと思われる。問題は、これを要約したものを英訳してNYT紙に掲載してしまったことだ。当然ここでは、読者層が全く異なる。しかし、このことを意識して、表現や内容に工夫を凝らした様子が微塵も感じられない。
日米関係との絡みで唯一述べているのは、ヒラリー・クリントン国務長官と同じ言葉を用いて、「日米関係は日本の外交政策の基軸(cornerstone)である」という箇所のみである。その他の文面は、どうしてわざわざアメリカ人の読者層に読ませなければいけないのか、目的が理解できない。本来であれば、日米間の課題や、日米が中心的役割を果たしていくグローバルな課題に対して、新しい政権党の代表としてどのようなビジョンを持ち、特にアメリカとどのように協調していくのかを示し、そのために理解を求める内容でなければいけない。どうしてこのような戦略的、目的意識が抜けてしまったのか理解に苦しむ。
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