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一つステップを踏みました――アメリカ・シンクタンク研究員のキャリア形成

今回は、私のプライベートな話題から綴りたいと思います。一部の方にはご報告しましたが、先月29日付で、所属するシンクタンクで Research Associate(研究員)から Assistant Direcor & Fellow(部長補佐&主任研究員)に昇進させていただきました。シンクタンク研究員である私のキャリアにとって、一つの大きなステップです。私の場合は、凡人なりにベストを尽くしてきましたが、それ以上に、「中嶋君がんばれ」、とワシントンや東京で多くの方に応援され、また、言葉だけでなく具体的にいろいろお世話になりながら何とかやってこれましたので、ここで改めて御礼を申し上げます。

二人のメンター
政策研究・提言を行うシンクタンクに身を置く者として、またそうしたキャリアの道を歩き始めた者として、自分には二人のメンター(恩師とか、少し古臭い言葉では師匠とかになるでしょうか)がいると思っています。一人目は、まぎれもなく今の直属の上司、高齢化研究部長です。彼とは、大学院卒業まじかで今の研究所へインターンとして入所した頃から約6年半の付き合いになります。ブッシュ政権前期に、前高齢化部長が政権入りした際に、後任部長として入所した彼が私を拾ってくれなければ、今頃私は日本で全く別の道を進んでいたことも考えられます。そういう意味では、一番の恩人です。世界各地の人口動態や社会保障制度など専門性に関わる部分は、全て彼から教わりました。また、政策分析とは、リサーチとは、政策レポートの執筆とは、そして、これらが実際にどういった情報や技術、思考を要するものなのか、さらに、シンクタンカーとしての姿勢、職業倫理まで、彼のもとで学んできました。良いところも、悪いところも、結構似てきたかな・・・と思ったりする今日この頃です。

一方、(私が勝手にメンターだと思っている)ある先輩は、専門分野は異なりますが、海外シンクタンクで日本人プロパー(出向や客員でなく、正規の)研究員としてキャリア形成していく上で多くのことを教わってきました。今では帰国して日本で活躍されていますが、そうした姿も含めて自分には一つのロール・モデルと言えます。私がワシントンに出てきたてで右も左も分からなかった頃から、様々な重要な方々とのミーティングに声を掛けて下さったり、日本で出版するチャンスを最初に下さったのも彼でした。彼の帰国が決まった頃、それまでに増してランチや夕食会へ頻繁に誘っていただきましたが、今考えれば、彼がワシントンで培ってきた人脈の一部を私に残して行って下さったのだと思っています。彼が町を去られた今でも、その時のお付き合いがきっかけで、私のオフィスを訪ねて下さる方が少なくありません。

シンクタンクのマネージメントと研究活動
今回、肩書きに研究部のマネージメント責任を明確にする「部長補佐」と事実上一人前の研究者として認められる「主任研究員」の二つをつけてもらいました。前者によって対外的には、研究部を代表してスポンサー企業、財団、政府機関、メディア、同業別組織などの関係者とお付き合いする機会がいっそう増えてきます。組織内では、部長代理として所長をはじめとする経営陣・上級研究員らの会合に出席し、研究部の予算、事務書類、ウェブサイトの管理、インターン生のリクルーティングの他、打ち合わせの類から国際会議に至るまでロジの第一責任を負うことになります。シンクタンク研究員と言うと、書物に囲まれた研究室で没頭して何かを執筆しているような印象を持たれる方もおられますが、このようにシンクタンク研究員の実際の業務は通常事務の他にも、スポンサー対応(研究資金調達)、メディア対応、各国政府対応、同業他組織・他の研究者への対応など多岐にわたっています。

後者の肩書きは、私の研究所内では特に大きな意味を持っています。というのも、私がこれまで持っていた肩書きは、学部や大学院卒で入所した若手のためのもので、まとめて「ジュニア・スタッフ」と呼ばれています。一方、今回もらった肩書きから上が、所長や上級研究員達も含めて「シニア・スタッフ」と呼ばれています。ジュニア・スタッフは、平均2~3年で研究所を辞めていきます。大学院に戻って修士や博士をとる人、アメリカ人であれば、国務省・国防省を初めとする政権各機関、議会に入り政策実践の現場に移る人、さらに、コンサルその他のビジネス界に入る人も少なくありません。こうした外部での様々な経験を通して業界で実績を認められた人たちが、改めて研究所にシニア・スタッフとして迎えられるのが普通です。つまり、ジュニアからシニアへ順々に階段を上っていくような昇進の仕方、キャリア形成は、組織の中であまり想定されていません。このジュニア・シニアの二重構造が、他のシンクタンクに増して極端になっており、この大きな崖の割れ目を乗り越えるには、インディー・ジョーンズ並みの大ジャンプをこなさなければ…、と思っていました。

今回、上司や周りの皆さんのおかげでこのジャンプを成し遂げることが叶ったわけですが、6年半の下積み生活を経て、少なくとも肩書き上は一人前のシンクタンク研究者として認められたことになります。「少なくとも肩書き上は」と書いたのは、もちろん自分のことは自分が一番分かっていますから、むしろ大変なのはこれから、頑張らなければいけないのもこれからだと思っています。皆さん、引き続きどうぞ宜しくお願いします。

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